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【専務 西村栄造のコラム】 第5回 「そうこうし、たち」

ーそれぞれのいっぽん道ー


「なかなか年季ねんきが入ってますなあ」「年季が入るまでも大変なのですが、年季があけたら、あけたで、またイチからです」相手の労をねぎらい、ものごとを評価したりする場面で、こんなやりとりが今でもみられる。

「年季」は、年数を定めてある場所で働く「年季奉公」が由来。江戸時代の頃から職人をはじめ商家などにおける雇用の形態は多くが奉公制度であった。すでに死語になっている雇用形態であり、今では、経験があって熟練した、あるいは、古くてよく使いこなされているというような形容の意味に「年季が入っている」と使われている。
その当時は、年季があけるということは、奉公の辛苦に耐えた末のおもいが重なりその達成感はいかばかりかであっただろう。


装潢師そうこうし」という職業がある。「装潢そうこう」という言葉は奈良時代の正倉院文書などにみられるが、それ以降の歴史書の中で使われた例は数えるほどでしかない。

奈良時代、「写経所」という役所があった。
中国からもたらされた経典を書き写して複製し,国毎に設置された国分寺に収め、全国に仏教を普及させるための役所である。

正倉院文書にはその役所の日常を記録したものが残されており、写経所内での仕事が明らかにされている。その中には「装潢手そうこうしゅ」「装潢匠そうこうしょう」といった職種の人たちが登場する。
写経に使う紙を継いで染めたり、打紙をしたりして実際に文字が書けるように準備をして、経文を書写する。書き終わったものに軸を付けて、表紙をつけて仕立てりしていたのが、「装潢師」という職業の歴史的な由来である。

今では、国宝の文化財などの保存修復を担っているのが「装潢師」である。
絵画や書跡などは絹や紙などの脆弱な材料でできているので、 経年によって劣化する。文化財は古来から修理が繰り返されてきたことによって数百年も残ってきたのである。


「あ、鼻血!」という場面が作業中にしばしばあるという。それほど集中を要する職業ということが窺える逸話である。
「装潢師」としてひと通りの仕事を覚えるまでに早くとも10年はかかるという。技術だけでなく、人文・自然科学の知識も必要であり、修理の実績を積むことでしか技術は身につけられない。

保存修理の主な素材としては接着剤としての古糊ふるのりと和紙。
古糊は、冬の大寒の頃に小麦デンプン糊を練りあげて、微生物で熟成させるために暗所に10年以上寝かせた寒糊かんのりといわれているものを使う。より長く文化財を保存していくために、将来劣化を促進させるような修理素材は使えないからだ。

たとえば,強力で耐久性の大きい接着剤を使用しても,自然素材で年月とともに劣化していく文化財そのものとバランスがとれなくなり,結果として文化財をさらに破壊する可能性すらあるという。
修理で付け加えるものは、次の修理までは一定の強度で構造を維持出来なくてはならないが、次の修理の際には文化財そのものに負担をかけずに解除できるものであることが肝要だという。

文化財の保存修理はそこに使われる素材(裏打紙や接着剤)の耐用年数である100年から200年のスパンで、繰り返し修理されることにより古来から受け継がれてきたのである。
つまり、現実的には、100年から200年先を見据えながら、50年ほどで保存修理が巡ってくるといわれている。


アメリカ経済に倣っての雇用の流動化の時代といわれて久しい。今や、石の上には3年もいられない、というのが働くうえでのトレンドになっている。

転職者比率は若い層の20代が12%以上とその多くを占めており、転職者数は過去最多(02年以降)の351万人にのぼっているという。
転職サイトでは、年収1000万以上のサクセス・ストーリーを華々しく謳いあげている。実際には、30代になると“売れ頃”を過ぎて“値が下がる”といわれている厳しい市場でもある。

こうした雇用の流動化の進展は、企業・産業をまたぐ労働力の柔軟な再配置を通じ、硬直化する産業構造の転換を促進すると評価されている面もある。その一方で、従業員の忠誠心に培われてきた日本企業の強みを削ぎ、非正規雇用の増加も含め、個々人にとっては生活の不安定性を招くなど、賛否にわたる意見がある。
雇用のあり方の評価にあたっては、人材投資、企業間競争力、勤労者収入、生活の安定度、社会保障のあり方等さまざまな物差しが要るのだろう。


ただ、転職者一人ひとりに立ち返ったときに、果たして転職がそれぞれのキャリアの発揮・発展につながっているものなのか、そのための連続的な能力開発の機会があるのか、そういったことについて浅慮ながらも案じてしまう。

転職の抱える課題をそれぞれのミスマッチという“仕事迷子”的な私ごとに逸らし、結果的に切れ切れのいわゆる“使い捨て”といういびつな社会構造の調整弁になっていないかということである。

このコロナ禍のギグワーカーなどの風潮には、アプリを活用した“多様な働き方”のひとつといえども、かつての“立ちん坊”といった日雇労働をみるおもいである。今や労働環境の劣化は街角でも容易に見てとれる時代になっている。

いずれにしても、この国が長寿社会の世界のトップランナーであることをなおざりにした転職の評価であれば、そこにどれほどの現実的な妥当性や将来的な展望があるのかとおもう。20代、30代の先には、体力的には長い道のりのくだり坂が誰しも待っているのである。


この不確実な時代、すでに私たち一人ひとりの人生設計はおもいもよらぬ狭い袋小路のような世界に立ち至っているのかもしれない。フランス語では、『不安』という語源は狭い場所に生きるということのようだ。
何も持たずにやって来て、さらに何かを失っていく。
転職はもはや、かつての“自己実現を図る”ための安穏とした将来への夢のある単純なレジームではなくなっているのかもしれない。

それでも、である。
職場を去ってゆく者たちに対しては、転職によってそれぞれの能力が発揮・開発され、自分自身の収入の向上や幸福感につながると同時に、個々の企業ひいては経済全体に活性化をもたらすという、たとえそれが絵に描いたようなロジックだと揶揄やゆされたとしても、そういった“やり甲斐”を期待し、応援したいものである。

今、多くの人たちがこころの居場所をさがしあぐねているという。転職がその居場所さがしにつながっていくならばとの励ましを、いつも送別の言葉の端にひそかに寄せてはいるのだが。


装潢師は、100年、200年先を見据えて、日々の作業に取り組んでいる。
地味で単調な積み上げの仕事ではあるが、作業の細部のひとつひとつに生活の術が宿っている。

その生業なりわいは、経年によって劣化していく素材への修復作業を丹念に繰り返し続けることによって、過去から未来に向かって歴史をつないでいくものとして存在している。
それは同時に、大工がはりや柱に墨付けを施すように、日々の作業のなかで今というあらたな起点を確実に刻みこんでいる。

むろん、職人の世界とはわれわれの労働の質が異なっているのは承知している。それでも、いにしえからの職人の世界が、働きつづけることの意義を生きていくことと重ね合わせて遠くから示唆してくれているようにおもえる。
たとえいろいろと変遷しても、うしろを振りかえってみて、今につながっているひとつの糸のようなものがあれば、それでいい。その糸はいつか未来に向かって紡がれていく、と。

たくさんの失敗や拭い難い傷や悔恨の積み重なった過去を見つめる自分自身の眼を持つこと、その大切さを教えてくれている。

道標はいつも点滅し、わたしたち一人ひとりが歩んできた道は大きく曲折している。それでも、自分自身の眼で振りかえることができれば、それはそれぞれにとっての「年季の入った」いっぽん道になっている。
そして、その時、「年季があけたら、あけたで、またイチからです」という今の立ち位置に気づかされるのだろう。


10年ほど前までは、文化財の修復はすべて京都に持ち込まなければならなかった。

先の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城の天井画である国の重要文化財「細川家舟屋形ほそかわけふなやかた」の修復作業は太宰府の九州国立博物館の工房内で完了しており、今では文化財の修復は地方でも行うことができるようになった。

それでもたとえば、山里の古刹こさつに鎮座する仏像などの修復は、温度や湿度の環境が整った工房に持ち込まずに、そのままの自然のなかに仏像に寄り添うようにして作業小屋をつくり、そこの現場で修復作業を行うのが理想だという。

暗所に10年以上寝かした寒糊かんのりを修復素材にしている装潢師たちの尽きせぬおもいは、常にいにしえから未来への歴史の時間軸上にあるようだ。


 

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