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【専務 西村栄造のコラム】第17回 「天気は、下り坂、のぼり坂? ー〈青い空〉との折り合いのつかなさー」

 

天気よ/
お前は/
晴天なのが本当か/
雨のふるのが本当か/
曇天が本当か/
風の吹くのが本当か/
吹かないのが本当か。/

川よ/
お前は/
清いのが本当か/
濁ってゐるのが本当か/
激してゐるのが本当か/
静かなのが本当か/

私は知らないよ。

〈『どちらが本当か』武者小路実篤〉

梅の実が熟す梅雨どきには〈雨のふるのが本当〉になっている、のだとおもう。
天気は下り坂とはいっても、のぼり坂とはいわない。青空の広がる今こそがのぼり詰めた、当たり前の天気だからだという。毎日が青い空のはずというのである。


「チッ!なんてこった。」
おのれの頭上を飛んで行ったジェット機を苦々しく見上げながら吐き捨てる男のセリフだ。ロマン・ポランスキー監督の映画『袋小路』(1966年作品)の冒頭のシーンである。
劇作家・演出家であり、名脇役の俳優でもある岩松了氏の最新公演『青空は後悔の証し』についてのエッセイを、そのポランスキーの冒頭のシーンをつい重ねながら拝読させてもらった。
岩松了氏の最新作での象徴的なセリフは「ちきしょ、いい天気だな」というものだ。〈自分の内と外の折り合いのつかなさ〉を吐露したセリフである。
チェーホフの『ワーニャ叔父さん』のなかでの「こんな天気のいい日に首をくくったら、さぞいいだろうな」というワーニャの言葉のくだりがエッセイでは同じ空気感で引用されていた。
もう20数年前にもなるが、当時の下北沢を拠点にして一世を風靡した劇団『東京乾電池』のスタッフが勢揃いし、座長の柄本明が初めてメガホンをとった映画『空がこんなに青いわけがない』の主演の三浦友和が顔をクシャクシャにして青い空を見上げるシーンも、その〈自分の内と外の折り合いのつかなさ〉だったとおもい返していた。
かつて『東京乾電池』の団員でもあり、岸田國士戯曲賞を受賞している岩松了氏はいくつかの戯曲をこの劇団に書き下ろしている。いまだに彼のなかでは〈外との折り合い〉がつきかねているのだと、最新作のセリフ「ちきしょ、いい天気だな」に同時代人として共感めいたものをおぼえていた。


〈日曜日の昼下がり、子どもたちが歓声をあげてピクニックを楽しんでいる、抜けるような青空に直線の航跡を曳きずりながらミサイルが飛んでいく。ツンザくような爆音の行き先を見つめて子どもたちは立ちスクんでいる。飛翔体は遥か彼方で点となり、抜けるような青空はそのまま不安な空間に変容して、子どもたちをすっぽりと覆っていた。
病院のベットに横たわる老人の点滴のチューブから落ちる投与の残りの時間とミサイルの着弾するまでの時間は同じ秒数を刻みはじめた。〉

突如として上空に現れるヘリやジェット機の爆音に過敏に反応するようになり、やがて麻痺し馴れてくるという。人びとはそうやって過酷な時代とこれまでも生きるための折り合いをつけてきたのだろうか。
ロシアとウクライナ、ベラルーシはもともと東スラブという同じ土壌から生まれた遊牧騎馬民族である。東欧ではふたたび戦争が日常と地続きになってしまった。


私たちはこの地球上のすべての生物が同じ時間と同じ空間のひとつの世界に生きていると考えている。
理論生物学者のエストニア生まれのヤーコプ・フォン・ユクスキュルは、すべての生物がそのなかに置かれているような単一の世界など実は存在しない。すべての生物は別々の時間と空間を生きているのだという。「環世界」という概念だ。
半世紀前にユクスキュルはその概念をマダニや他の生物の生態を通して示していた。

マダニは18年ものあいだ、飲まず食わずで、哺乳類の血を吸うためにひたすら待つことができるという。わずか一ミリそこらの動物が広大な森の中でただ一本の木にのぼりひたすら木の下を通る酪酸を放つ哺乳類を待つ。嗅覚が酪酸に反応して哺乳類にダイビングする狩の確率はほとんど無い。その半ば永遠の待機の時間は驚きでもなんでもなく、休眠しているのだという。視覚も聴覚もなく嗅覚によって狩をするマダニは人間とはまったく異なった時間と空間に生きているというのである。

人間は一秒間に一八回以上の振動は捉えられない。触覚も同じで、一秒に一八回以上棒でつつくと、ずっと棒を押し当てられている、圧迫として感じることになる。人間にとって一八分の一秒が感覚の限界なのである。ところが、激流の川の中で俊敏に動きながらエサを食べるベタという川魚は三〇分の一秒まで知覚することができるという。
逆にカタツムリの場合は、ゆったりと散歩している人間を見て「なんと素早い動きの生き物」だと感じているという。地球上の生き物はそれぞれの時間感覚を持っている。
また、蝙蝠コウモリなど視覚を持たない、あるいは光を感じる程度しか持ち合わせていない生物はまったく異なった方法で空間を把握している。触覚や波長の聴覚を使って空間を把握する。空間把握をもっぱら視覚のみに頼っている人間とは次元の異なった空間のなかで生きているということである。

地球上には500万種~3000万種の生物が存在しているといわれているが、時間や空間はその数と同等のあまたの「環世界」があり、地球上の時間や空間は単一ではないということをユクスキュルは説いていた。


世界には四千数百種の民族が存在し、七千の言語があるとされている。ちなみに世界には数人から十数人しか話せない言語がある。中国の貴州省黔東南キシュウショウケントウナンミャオ族トン族自治州では、村で唯一「木栳語」を話せた高齢の女性が亡くなったという事例もある。
人間にも生きている土地の歴史や風習や宗教によってそれぞれに価値観や善悪が異なる「環世界」のようなものがある。ユクスキュルは人間の「環世界」についても言及している。
重さ約24トンの太陽の石は、古代アステカ人が残した石彫だ。アステカ文明の後継者のナワ民族の崇拝する太陽とひねもす老人が縁側で日向ぼっこをしている太陽とは同じ温かさでありながら、陽の光の輝きは同じ価値の恩恵ではない。老人は温かい日差しを浴びてうとうとと居眠りはするが、崇拝はしない。
あるいは私たちが夜空を眺めながら星の輝きに魅了されている時に、天文学者は太陽と惑星の天体の運動の空間や時間のなかにみずからを置いている。天文学者は宇宙という「環世界」に生きているからだという。


〈一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ。殺人は数によって神聖化させられる〉というチャップリンの映画『殺人狂時代』でのセリフは狂気が熟した戦争という「環世界」を言い得ているのかもしれない。
進行当初に1986年に爆発事故を起こしたチェルノブィリ原発が制圧されたというニュースは世界を震撼させた。ロシア軍は原発の知識は乏しく、ロシア軍撤退後、放射能の線量を計測する施設では測定器やコンピュータが略奪され、コントロールセンターの管理棟の机や床には大便などの排泄物が残されていたという。
汚染が今でも深刻な「赤い森」と呼ばれる地域では塹壕を掘り、ロシア兵みずから被爆したおそれがあるばかりか、多数の地雷が埋め込まれているという。
南部のザポロジエ原発は今でもロシア軍の管理下にある。狂気は核分裂の臨界さながらに連鎖している。

〈永遠の平和〉をかたちづくっていた世界の秩序はすでに漂流しはじめている。
人間の非情や残酷さを誰がどのように許す時がくるのだろうか、終わりのない私たちへの問いがふたたび始まっている。


欧米の民主主義社会は劣化し、大国はかつてのピョートル皇帝のロシア帝国のような、あるいは「一帯一路」という世界戦略を標榜し、13世紀のモンゴル帝国さながらのレコンキスタ(失地回復)を求めて世界は胎動しはじめた。
かつて歴史的に断罪されたはずの亡霊たちが甦ろうとしているこの時代と、私たちはどのように折り合いをつけていかねばならないのか。

歴史の評価は、時の権力の支配の論理によって自在に変幻する。世界をつくってきた貢献者を見出だすことは、現体制の秩序を全肯定することからなし得ることである。
ノーベル賞を設けたアルフレッド・ノーベルはダイナマイトを発明し、兵器の商いでノーベル財団を築いたことから死の商人とする批判的な論調もある。20世紀最高の物理学者と評されるアルベルト・アインシュタインは大戦当時のルーズベルト大統領に原爆の開発についての書簡を送り、ヒロシマ、ナガサキの人類史上初の核の大量殺戮につながったともいわれている。
角度を変えて歴史的な事実をのぞき見ると、歴史上のヒーローは、陽画と陰画が途端にヌルッと入れ替わるように変貌してしまうのだ。

今、ロシアでは、数百万人を粛清し、死にいたらしたソビエト連邦下の指導者スターリンに対する歴史的評価の見直しと正当化がはじまり、中国では二千万人を死に追いやったともいわれる文化大革命の思想が復権しつつあるという。
無辜ムコの民間人への執拗な攻撃により、戦略的につくり出されたという、中東のシリアなどからの1000万人規模の難民。その欧州に流入した難民の対応をめぐり、排外主義と極右的なナショナリズムが台頭しているヨーロッパの混沌とした現状をおもうと、やがてヒットラーの歴史的評価も一変するやもしれない。歴史は取り返しのつかない経験として人類の忘却をあざ嗤うかのように執拗に繰り返されてきたからだ。

13世紀、火薬を開発し武器として使用したモンゴル帝国は、東ヨーロッパまでの世界の支配を実現していた。火薬はダイナマイトに進化し、7世紀の時を経て、核にたどり着いた。
人類みずからつくったものがみずからの生存を脅かすという基本構造が根付いたままであり、それをどう解体していくのか。地球という生命体からすれば、厄介な生き物を背負い込んだものである。


最近、こんなことをおもう。私たちが待ち望んでいた未来はずうっと昔にすでにやって来ていたのではなかったかと。
『ゴドーを待ちながら』の戯曲の如く、たとえ“ゴドー”が現れても待っていた“ふたりの浮浪者”が気づくことがなかったように、私たちも分からなかったのではないか。本当に待っているものは見えにくいのである。
私の人生はすでに折り返して、次第に持ち時間が残り少なくなっているが、人類史もこの国でいう縄文時代終期あたりで、うに折り返し地点を過ぎて久しいのかもしれない、と。

閑話休題(それはさておき)、冒頭の〈毎日が青い空〉というはずはない。季節の日々は「雨過天青」の繰り返しである。〈天気はこれから「のぼり坂」〉というより、〈雨あがる…〉ということばの響きのむこうがわに青い天空が広がっているようにおもう。

〈 青梅や茅葺きかへる雨あがり/ 室生犀星 〉

追、

戦場の道端に転がり、フレコンバッグに収納された遺体。パンディミック禍で病院から遺族とのお別れもなく直葬された遺体。
おもわず知らず遠い目になる。人びとの命の重量はどのように測られているのか。

先のコラムでも触れたが、平安末期の源平合戦の12世紀末、「築地のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、くさき香世界に満ち満ちて、変わりゆくかたち有様、目もあてられぬ事多かり」として鴨長明の『方丈記』には、市中に遺体があふれ、各所で異臭を放っていたことが記されている。京都市中ですら餓死者は4万数千人に及んでいたという。
死者のあまりの多さに、仁和寺ニンナジの僧たちは死者の額に「阿」の字を記してまわったと伝えられている。「阿」とは梵字ボンジの第一字母であり、“全てのはじまりであり、宇宙の万物の創生を意味する”という空海が日本に伝えた真言密教の教えである。
大飢饉の惨状下であろうとも、いずれの時代においてもこの地では、ひとりひとりの命は尊ばれ供養され続けてきたとおもっている。今年もまた、8・6ヒロシマ、8・9ナガサキ、8・15のうだるような暑い蝉時雨の日々が盆入りの季節に折り重なるようにやって来る。

さて我が家は、夏草に埋もれたお墓に恒例の草刈り作業着での盆詣りとなる。いつの頃か次男の私が墓守りとなっている。兄も父母もすでに鬼籍キセキに入つてい、草刈りの愚痴を墓石に向かってコボしながら、汗だくで詣でている。


【専務 西村栄造のコラム】次回は秋の10月を予定しています。
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