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【専務 西村栄造のコラム】第11回「マスク越しの季節をめぐって」 ー職場雑感 “おかげさまで” ー

100年前のスペイン風邪流行時の、『文藝春秋』の創始者でもある菊池寛きくちかんの小説「マスク」があらためて注目されたり、ここ最近、マスクに関わる言葉も次々とうまれた。
「マスク警察」、「あごマスク」、「鼻出しマスク」、「マスク荒れ」、「マスク美人」、最近では「マスク外し」まで街なかに現われている。加えて、中国のアフリカ諸国やヨーロッパへの「マスク外交」、きわめつけは、あのちんちくりんの「アベノマスク」。
今となっては、すでになつかしいような笑い種になっているが、全戸配布した費用は260億円の公費(税金)がかかっている。

感染の初期の頃、ドラッグストアーに“高価で貴重な”中国製のマスクを求めて早朝から長蛇の列をつくっている人びとを見ながら、今やマスクひとつこの国では自力で生産できないこと、グローバリズムの裏返しの国内産業の空洞化というのはこういうことだったのかと、身近な出来事として実感させられたものだった。
その後、あの家電品のシャープが不織布のマスクでふたたび脚光を浴びるとはおもいもよらなかったが、シャープはすでに中国(台湾系)の企業に吸収されていたから、その企業背景からも妙にうなずける話題ではあった。

街には「UberEATSウーバーイーツ」の自転車がナビを頼りにして走りまわる光景が定着し、フリーランスという労働形態の言葉をしばしば耳にするようになった。かつての“立ちん坊”と呼ばれていた日雇労働がネット社会でかたちを変えて街なかによみがえっていた。

ただ、かつての“立ちん坊”には日雇健保という社会保険があり、まだかろうじての雇用保証という公的な支援制度があった。今のフリーランスは“いつでもどこでも自由に働ける”という売り以外になんの保証もない、使い捨ての雇用形態である。労働市場の流動化は究極ここまで立ち至っている。
世のなかを支えてきた礎石がずれはじめて、社会構造の歪みはさらに大きくなってきているのだろう。


コロナの感染者の数の多寡たか、とりわけ都道府県別、地域別の数の状況には敏感に反応しながらも、死亡者の数にはしだいに麻痺して、数字の裏側での逼迫ひっぱくしている医療や在宅療養の現場などへの想像力が希薄になっているのが、わたしたちの今日的な状況なのではないだろうか。

一方で、ウィルスは為政者いせいしゃのおもうようにはならないのに、感染の収束をあたかも為政者の結実として企図しているのが透けてみえており、そのこと自体が喜劇的で、かつ悲劇的な状況をさらにつくりだしてきているように感じているのは私ひとりだけではないとおもう。感染症は為政者のものさしだけでは対応できるはずもないことはこれまでの人類史が教えてくれている。

この国の為政者は中央であれ地方であれ、議会での棒読みの答弁原稿にみられるように、つねに円滑な予定調和の世界でことごとくく処してきており、日々激変する状況に迅速に対応することには不馴れであり、経験も乏しく、専門的な知見や発想、歴史観も蓄積されていない。重要な政策決定は、各専門分野における徹底した熟議を経ることなく回避し、一部の関係事業者への根回し後に形式的な審議会等で意見を整える、いわゆる“お墨付き“とやらによって権威的に執り行なわれてきたのが現状である。

スケール感の大小はあれ、為政者の多くは目先の権力への執着や権威とのバランスゲームに明け暮れているだけと云っても過言ではないのかもしれない。その卑小さがわかっていながら、この感染症の時代に彼らに身を託さざるをえないあやうさを感じてきたのが、多くのひとたちではなかっただろうか。

今回世界を席巻しているパンディミックは、スペイン風邪からちょうど100年目の節目に当たっている。
これから確実に訪れるであろう大規模な災害。数千年単位の視野に立った各専門分野における知恵と発想力の総動員が必要になっているのは間違いがない。先の東北の大地震は平安時代の貞観じょうがん地震以来の千年周期のものだった。


雑文に近いこの拙文を始めて、一年が経った。根気のない我ながらよくも続けられたものだと感心ひとしきり。これもひとえに広報チームの支えがあってこそと幾重にも感謝、感謝である。
この間、ひとりひとりのスタッフの身のまわりにも出産などの暮らしの出来事があり、自分の身近なところでも近しいひととの永の別れがあった。年の暮れにもなると年始のあいさつのことわりの訃報が枯葉のように舞い込んでくる。

いろいろなことが横切り、そしていろいろなことが積み上がり、“そら”の小さな歴史というのが日々つくられているのだとあらためて感じさせられたこの一年であった。

なによりも特筆すべきことは、“そら”自身が広い外海に船出をし、さまざまなところから吹いてくる風に応じながら、このパンディミックの時代に帆を張って進んでいるということである。
“そら”は、今、舳先へさきをさまざまな分野に向けている。また同時に、足場の地歩を固めている時期でもある。

“たし算”は単位が同じでないと計算ができない。でも“掛け算”は単位が違っても計算ができ、あらたな単位を作り出すことができる。
今、“そら”はいろいろな分野との協働や業務提携などという“掛け算”をしながら、これまでにないあらたな事業分野という単位をつくりあげている途上にある。さらに、将来、単位が違う分野との“たし算”を可能にし、常識を超えた“掛け算”と“たし算”の組み合わされたハイブリッドの展開になるやもしれない。

これから先、“そら”の行手には、これまでとちがった風景や物語が立ち上がってくるような予感をしている。
「時代」のほうがそらを追っかけはじめている、そんな気がする。
一方で、日々さまざまな人びとや場所に届けている植物たちのたくましい生命にこれからも永遠に寄りそっていく活動を続けるためにも、今ふうにいうならば“持続可能なそら”をつくっていくことが、私たちスタッフ一人ひとりに課せられているのだろう。


役人時代のひとりごちの話である。
その時分はすでに議会中の議場での質問や答弁はすべて庁内で放映されており、傍聴席のみならず住民にもネットで広く公開されていた。議会終了後、議場での録画を見ているときに、「なかなかいい答弁をしているね、このおっさん、後ろハゲてるけど」そんな軽口を周りの者にたたくと、「あのー、この方、部長ご自身ですよ」という気まずい雰囲気に立ちいたり、苦笑いで誤魔化すしかない場面があった。「ライティングのせいもあるかと‥」の部下のフォローもかえって気まずさを増長させた絶妙なオチまでついた。

これと同じような塩梅あんばいで、デパートのショーウィンドウに映る自分の姿を見て、「ん‥あれアタシ?」とあらためて自分自身の思いこんでいるおのれの容姿の、イメージとのズレを再認識させられることはないだろうか。
いつのまにか、年を重ねるごとに自分が思い描いていたイメージのおのれではなくなっていることに愕然とすることは誰にでも一度や二度はあるはずである。

夜のとばりが下りた電車の車窓に映る疲れた自分の顔に、両親のいずれかの顔が重なってしまうことを誰もがやがて経験するだろう。年を経て父母に似てくるのは、容姿をかたちつくっていた肌や肉が年齢とともにほぞ落ちて、両親から受け継いだ躯体くたいがそのまま浮きぼりになるからである。

よくよく考えると、自分で自分の姿はいつも見えていない。掌や爪先は簡単に見えるけれど、背中やおしりは鏡に映さないと見えない。
いつだって、自分よりも周りの人のほうがたくさん自分をみている。自分はこうだとおもっていても、もしかしたら他人は、もっと別の自分を見出しているのかもしれない。
人といっしょにいるというのは、子どものときからそういったことなのであろう。

わたしは みんなを みている / わたしは みんなのこえも きいている /

くらくなると / みんなとも おわかれ / ちょっとだけ さびしいけど / 「また あした」

ー「のはらうた」子どもの創作詩 『おひさま』 ー


言葉が不足しているとき、感情が表情や態度にでているとき、よろいをかぶるように沈黙するとき、異論があっても我慢しているとき、疑問が身体中を駆けめぐっているとき、目の前の課題から逃げようとしているとき、みんなと痛みや喜びを共有できないとき、自分でもイヤになるおのれのそのときどきの姿はみられているのだろうか。

意外に人はみている。お互いにみている。それは監視という意味合いではなく、お互いの存在が気になるからだ。お互いの存在を通してこそ自分が在るということを無意識のうちに感じとっているからである。

自分のことだけで精いっぱいで身動きがとれない、そんな時でも、ただほんのすこし隣の人を気にかけて想像する力があれば、隣にいる人との関係を編みあげることができる。

何気なく交わされる職場でのあいさつのひとつに“おかげさまで”というのがある。この言葉は、お互いに支え合っていることを認め合い、ひいてはおのれと向き合えるという仏教語に由来している。
”お陰様”のお陰は、古くから神仏などの偉大なものの陰で、その庇護ひごを受けるという意味の黄檗宗おうばくしゅうでよく語られる禅語である。「自分以外の何かによって、自分に仕合わせをいただいている」という教えのようである。
ひとりひとりのみんなの集まり。組織論にはいろいろな考え方がある。“そら”はお互いに支えあえる〈ひとりひとり∈そら〉というアンサンブル、そうであればいいとおもっている。


アフガニスタンからの国外脱出時の、空港に押し寄せる人びと。タラップが人の群れでゆがみ、機体にしがみつく人びとをパラパラと振り落としながら離陸する飛行機。つい先日映像で流れていた今日的な出来事である。
横浜港にコロナの感染者の乗船していた大型クルーズ船が入港してきた、あの国内でのパンディミックのはじまりの場面をもう私たちは忘れかけている。志村けんさんの訃報が突然流れた驚きの記憶もいつのまにか薄まってきている。

動いている歴史、その途上にいること。この国の歴史、アジア、世界の歴史、地球の歴史。いやいや、太陽系の、銀河系の、宇宙の歴史。今いるところからカメラのレンズを引くようにしてさかのぼってのぞくと、私たちのいるところが垣間かいま俯瞰みえる。

フィリピン海プレート地殻の北上と日本列島への沈み込みにともない、はるか南方にあった火山島が移動してきた。そうしてできあがった日本列島にホモ・サピエンスが住み始めたのが3万5千年前。
古代の人ははじめて浜辺に立ってぐるりと眺めた、果てのない天と海の広大な領域をアマと呼んだという。人はそのアマを見上げ、足元にのびているみずからの影を見下ろして時の流れを知った。

今、私たちの住んでいるところは、銀河系、太陽系の惑星のひとつの地球、ユーラシア大陸の東端、東アジアの海に南北に長くよこたふ列島、日本〇〇都道府県〇〇市町村〇〇丁目〇〇ー〇〇である。


 

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