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【専務 西村栄造のコラム】 第6回 「黄砂とノマド」

初めて会った人とは、飲食などなにかの拍子にマスクを外したときに、ようやくその人の顔の全貌がわかり、今までの目元だけの印象とはずいぶんと違っていたことが最近ではたびたびである。口元やアゴのかたちというのはそれぞれの顔だちにはかけがえのない部分だとつくづく感じさせられている。

全体像がなかなか見えにくくなったマスク越しの時代である。


「ノマドワーク」という働きかたが今の時代の象徴のようなものとして一時期話題にのぼっていた。
ノートパソコン、スマートフォン、タブレット端末などを使い、WiFi環境のある喫茶店など、通常のオフィス以外のさまざまな場所で仕事をすることを指すようである。日々の糊口のりぐちは、ブログの広告収入などでしのいでいるという。フリーランスのひとつなのであろう。
「ノマド」は「遊牧民」という意味である。

ただ、「ノマドワーク」という現象は今に始まったことではないようにおもっている。
2008年アメリカの大手証券会社の破綻に端を発する未曾有の経済破綻が日本を含め全世界を襲った、あのリーマンショックはまだ記憶に新しい。日本でも今の30代、40代の世代は大きな影響を受けており、この頃に派遣切りや非正規等の雇用問題が起こり、その格差は現在にも及んでいる。

リーマンショックの影響は当時、現役世代だけではなくリタイア世代にも容赦なく降りかかった。アメリカでは多くの人たちが家を手放す事態に追い込まれ、家を失った人びとは自家用車で寝泊まりし、働き口を求めて全米各地を動き回っていた。
車上生活を余儀なくされた多くの人たちの群れが出現したのである。
彼らは、たとえ専門職の経験があったとしても、それを活かせるような職がほとんどなく、安い時給で過酷な労働に従事するほかなかった。
当時、漂流する彼らを「現代のノマド(遊牧民)」と呼んだ。


今年のアカデミー賞に、映画『ノマドランド』が輝いた。
公園のトイレの清掃、アマゾンの物流工場での箱詰め作業、大規模農場での山のように積み上げられたジャガイモの仕分けなど季節労働者として働きながらアメリカ国内を漂流する人びとを描いた映画だ。
監督はクロエ・ジャオという北京生まれの女性で、オスカー俳優である女性のフランシス・マクドーマンドがノーメークの素顔のままで好演している。

荒涼とした大地の真ん中で彼女がしゃがみ込んで排泄をしているシーンで、映画は始まる。
思い出のつまった皿や食器など生活の品々を積み込んだバンの車窓に映りこむ、アメリカ大陸の黄昏や朝の風景は、アジアの叙情詩のように切り取られていて、さながら淡い墨絵のような映像美をみせていた。

荒涼とした大地に漂流している「現代のノマド」の人びとの愁い、切なさ、そのうらはらにある彼らのたくましさや人間の漂泊への想いをもはらんで描きあげられている。社会派の作品にとどまらない珠玉しゅぎょくの作品である。

冒頭の「ノマドワーク」という働き方の呼び名はその頃の時代から派生したのではないかとおもっている。
リーマンショック当時と今とではずいぶん働きかたの意味合いが変わってきたのかもしれないが、スターバックスの片隅でひとり黙々とパソコンに向かい合っているにせよ、「ノマド」という言葉の響きにはどことなく時代の谷間に漂流している人びとのやるせなさや愁いを感じさせられてしまうのである。


今、中国の北部にある内モンゴルの高原地域から古来からの「遊牧民」の姿が消えつつあるという。

今年も2月下旬から5月にかけて黄砂がたびたび飛来してきていた。
皮肉なことに、いつもは鬱陶しいと感じているマスクがこの時季には大いに役に立った。
黄砂については、江戸時代の奇談『絵本百物語』においても「(邪気が)黄なる気をふくは黄は土にして湿気なり」と述べられており、雨天の前兆、風による疫病発生を暗示しているものとされている。

最近は、九州にとどまらずに北陸、東北まで広範囲に空が黄橙色だいだいいろに霞んできている。

黄砂の多くはモンゴル南部や中国の内モンゴル自治区などの砂漠地帯が発生源といわれている。
年を追うごとにその量は増えてきており、近年では舞い上がった土壌粒子には排ガスなどの汚染物質が付着しており、大気汚染PM2.5同様に警報が発令されるという始末である。
実際に九州ではこの時季、洗濯物も干せないほどの状態になる。雨が降ると車は泥をかぶったように汚れる。
今や東アジアの環境公害といっても過言ではない。


中国の内モンゴルにおける、遊牧民の移動の禁止と定住化を柱にした、農業生産性を高めるための土地政策が砂漠化に拍車をかけているといわれている。
モンゴル高原の草原を掘り起こし、急速に農地化したことや、遊牧民の定住化政策を進めたために伝統的な遊牧ができなくなり、草原の生態系が崩れたことが砂漠化の要因と指摘されているのである。

実のところは、砂漠の砂は、黄砂で舞い上がる黄土などの土壌粒子の5〜10倍以上の大きさがあり、上空数千メートルまで舞い上がることはないという。
むしろ、黄砂の現実的な要因は砂漠の砂よりも周辺の黄土ではないかと推測されている。
生産性を高めるための農地化の拙速な推進と都市化の急激な拡大に伴う、砂漠周辺の黄土化の拡大が背景にあるのではないかと考えられているのである。

華北等の中国北部で推し進めてきた防護林の植栽計画により、砂漠化面積が減少しつつあるものの、人工的な大規模な防護林の先に拡がる周辺の広範な大地は黄砂に似た黄土色になっているといわれている。


かつては、時代とともに受け継がれてきた「遊牧方式」は、長い歴史的変遷を経ても草地劣化や生態系の破壊を起こさず、持続的な暮らし方として存続してきた。

多くの場合、数家族からなる小規模な家族単位で家畜の群れを率い、家畜が牧草地の草を食べ尽くさないように、その回復を待ちながら、定期的に別の場所へと移動を行う。

モンゴル高原において、現代社会まで草原が良好な状況で維持されていることをかえりみれば、遊牧方式は草原生態をそのままに次世代に引き渡す持続可能な方法をいにしえから培ってきているといえるのであろう。
遊牧方式による牧畜業は、歴史的な知恵が蓄積された伝統的な生業なりわいなのだ。

元来、中国にとっては、紀元前からの匈奴きょうどや元など北からの騎馬遊牧民族の脅威に備えてきた長い歴史がある。およそ秦の時代から明の時代に至るまで築城が重ねられてきた万里の長城(日本列島の7倍ともいわれる)がその備えの最たるものである。

遊牧民の移動禁止の施策には、北方遊牧民族との勢力争いの長い歴史的な背景も透けてみえるのは、穿うがった見方になるのだろうか。


今、アメリカでは社会経済のひずみとして「現代の遊牧民」という新たな季節労働者の一群を出現させた。
一方、中国では、農業生産性を高めるという急進的な経済展開の下で、「伝統的な遊牧」という遊牧民の生業そのものの変更を余儀なくしようとしている。これは、喩えが矮小わいしょうかもしれないが、渡り鳥や回遊魚に自然界での移動を禁じるようなものではないだろうか。

「遊牧」とは元の場所に草地が回復する頃には必ず帰ってくる、生きる営みのための回帰移動というものなのである。
モンゴル高原と砂漠の自然の生態系として民族の生業があり、古来からの「遊牧」という、世代を繰り返しながらの回帰移動によって、東アジア全体が自然環境の恩恵を受けてきた。

かつて黄砂は、春の霞として九州における淡い季節の風物詩でもあったのである。


鳥類は一つの個体が長距離の渡りを行うのに対して、チョウなどの昆虫のなかには世代を繰り返しながら数千キロを移動するものがいるという。世代や時を超えた自然界の移動である。

人類もまた、500万年前にアフリカ大陸で誕生した後、数十万年の時をかけてユーラシア、アジア、南北アメリカ、そしてオセアニアへと拡散し、世代を繰り返しながら移動を行ってきた。
人類が「ホモ・モビリタス(移動するもの)」とも呼ばれる所以ゆえんでもある。

移動は、大雨や旱魃の気候変動や疫病の蔓延、紛争、飢餓、爆発的な人口等、多様なことに起因していたといわれる。歴史の谷間で人類は生きる営みとして移動し続けてきたのである。

古代よりインドでは、人生の終末は、住んでいたいおりをたたみ、ずた袋ひとつで自分の死に場所を探して漂流するといわれていた。
流れ行きてふたたび帰らざる土地。その習わしは、「ホモ・モビリタス(移動するもの)」の遺伝子の遠くからの呼び声なのかもしれない。


 

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